津軽三味線(その1)
津軽 三味線(つがる しゃみせん)
津軽地方〈青森〉の三味線。三味線の胴や棹などは大きく、また太鼓と言われる皮の部分には “犬皮”が使われ、(通常の小唄三味線には猫皮) “強く・叩く” ような奏法で迫力のある音が特徴的である。津軽地方の民謡に付ける “伴奏” が本来の津軽三味線だが、昨今では『吉田兄弟』などに代表されるように “津軽三味線のみでの独奏” を津軽三味線としてイメージすることも多い。古くは高橋竹山、三橋美智也、帰ってこいよ~の松村和子まで時代とともに一般のメディアにも記憶のある楽器ではなかろうか?
雪国の厳しいイメージ
津軽三味線のイメージは、まさに「冬の雪国、地吹雪のような音」ではないだろうか?と思う。(後に春の桜の軽やかな繊細な音や春夏秋冬さまざまな表現が出来る事を知るが)
つよく、深く 何ものにも負けずに耐え忍ぶ深々とした “つよさ” が、何とも言えない郷愁感のようなものを呼び起こさせる気がする。これはDNAのレベルである“民族楽器”への郷愁だろうか? 私の中で、“この楽器” に対するつよいイメージがあるのは TVドラマで、ある女性が役として「言葉に表せない “心情”」を津軽三味線を弾くことにより表していたイチ場面による。
今思えば、もちろん実際に弾いているのではなく“音だけ付けた”ものだったろうが、それでもそれだけ強烈に脳裏に記憶されているのは・・『津軽三味線という弦楽器が日本人のDNAに確かに記憶された音である』ということではなかろうか?
それから‥ 十数年経った30才を過ぎた頃に、まさか自分が “その楽器を習う” 事になろうとは~ 全く想像できなかった出来事である。。
へば、弾くか
三十路を過ぎたある日に、突然思い立ち 「津軽三味線を習うこと」を決意した。と、まあ大げさだが、ただ単に “楽器が弾ける” ってイイなぁ~ と単純に思ったことと、“何か趣味が欲しかった” のだ。気づけば毎日仕事に追われ、たまの休日には家でゆっくり寝るのが趣味‥これではイカン!と思ったのがキッカケだったように思う。さて、習おうと思ったものの生まれてこの方「楽器」というものにふれたのは “小中学校時代のハーモニカや縦笛” のみで、自ら何か楽器や音楽にふれる機会は全くなかった。どうすればいいのか?まあ、悩んでも仕方ない。教室を探してとりあえず見学なり出来ればいいと~いろいろ調べたのであった。
教室さがし
ほんの十数年前であるが、もちろんスマホなど無かったのではないか?アナログ的に電話帳で教室をさがした記憶がある。しかし、津軽三味線は “北国(青森)” の楽器。関西(西)で教えてる教室は圧倒的に少なかった。しかも、今の時代ほど「若手の先生」がおらず、習うとすれば「民謡教室」だったので その教室をさがす事は困難を極めた。(民謡教室で電話帳などに情報を載せてるところは少なかった) それでも何とか「津軽三味線を教えてくれる民謡教室」を捜し出し、いよいよ見学をさせてもらう約束を取り付けて、念願の “三味線教室” デビューをする・・ハズであったのだが‥ そうも上手くいかないのが、人生の妙(あじ)なのである。
(※それから数年後に紆余曲折ありながら、念願の青森・弘前に向かう車中から眺めた岩木山)
人生は “願えば叶う 行動の星であると” 知っていたのであろうか。そのときは上手く行かない事でも、願い行動し続ければ~ 叶うのであるという。。諦めずに続けること、想い続けることが大切ですね。そうすれば、“どこかに” 道はあるのだから。やっぱり、「諦めること」が成功の反対語です。失敗なんてこの世にはないのだから。