誰がために鐘は鳴る(神戸の腰痛に、そうかい整体)
いつもブログを読んでいただきありがとうございます。
兵庫県 神戸市 新長田にある慢性の腰痛、坐骨神経痛、女性の方の骨盤整体の壯夬(そうかい)整骨院 / 心・そうかい整体院の院長 泉たかやす です。
10月になりましたね〜〜
姪っ子の かぼちゃハロウィン♪♪
「わたしのために、生きる」がどうやら大ブームですが、
僕としてはもっともっと、「誰かのために」生きることを伝え続けていけたらなと思っています。
人間とは、何のために生きているのか。
「だれか」は何のために「わたし」から分離したのか。
作家として伝えられる限りの語彙力と文章力で、分かりやすくこれからも表現できたらなと思います。
人は、1人では優しくなれない。
「だれか」のために、居るのが「わたし」だから。
「わたしのために生きる」を、あなたは履き違えていませんか?
または、周囲に履き違えている人が居ませんか?
もっともっと、「誰か」のために
-さとうみつろう
http://ameblo.jp/mitsulow/entry-12204050026.html
-「神様とのおしゃべり」という本で有名な、さとうみつろう氏の言葉より引用-
『もっともっと ” 誰かのために ” 生きることを〜』
この言葉にズカーン ときました。
確かに ” 自分らしさを大切に、そして自分を大切にして自分の為に〜 ” というのはあります。
つまり、「わたしのために生きる」なのですが、、この言葉は大切だし もっともだと思うし、そうなんですけど〜
” 履き違えちゃ ダメだな ” ととても腑に落ちる事が出来ました。
わたしの為に生きる → 私だけの為に生きる×
わたしの為に生きる→ 私も含めた ” 誰かの為 ” に生きる なんですよね。
決して、” 自分だけの為 ” ではなくて、自分を含めた誰かの為であることなんだなぁと。
そして、そこに自分= だれか が、あるんだなと。言葉として分かりにくいかもですが、自分とは誰か なんだと思うんですよね。そして、そこに「誰かの為に生きた」ときに良い意味で ” 自分はなくなる ” んです。
無くなる のではなくてね。境がなくなる感覚でしょうか?人の事を我が身のように思う事が出来ることという感じ。そういう意味で「我」が消えていくんだろうな〜 て思います。
言葉で上手く伝えられないけれど、たぶん子供がいる方には分かる感覚かもですね。
(私には子供はいませんが笑)
でも、そんなこと、感じだと思います。
人は ” 自分の為に生きてるんじゃないな ” って強く私は私としてつよく思ってる所があります。もちろん普段の生活は自分の為に生きてる事も多数なんですが、” もっと誰かの為に生きること ” が確かに生きる意味なのだと思います。
自分だけの為の人生は、1人です。
でも、命って1人きりで生まれてきたものではなく沢山の ” 繋がり ” の中で生まれてきた命だって思うんですよね。つまり命とは = 繋がり です。繋がる時に〜 人は ” 誰かの為にある ” 存在であると思うんですよね〜
それが、あらゆる意味での ” 生きること ” だと感じています。
これから、そんな事を大切に生きていきたいと思いました。
最後まで読んでいただき、
いつもありがとうございます。
これからも よろしくお願いいたします!
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